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( ^ω^)愛に関する調査のようです 2スレ目




2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:28:42.05 ID:NEycG7MM0
 ※


溜池の交差点から不規則な方形に切り取られた空が見えた。
空が少しずつ色を変えていくのがはっきりわかった。
黄昏の空は美しかった。しかしそれは十分しか続かなかった。
俺はその間にハイライトを三本吸った。

紙袋を抱えた男たちと小さなショルダーバッグを肩にかけた女たちが、師団編成で俺の前を通り過ぎた。
彼らはみな駅の方へ歩いていった。
終業後の約束のありそうなもの、まるであてのなさそうなのもとりまぜてだったが、
少なくとも朝の電車の中よりも生気が見える。
俺もこんなふうになりたいと痛切に望んだことがあった。もう昔のことだ。
九時から五時までの時間を売り、その代償としていくらかの金と、夕方から夜にかけての短い放恣な時間を得る。
首のまわりに硬い布を巻きつけることに慣れさえすれば、それは悪いことではないように思えた。
単調の中に安定があり、安定は心の平穏をたやすく育て、時々少量の不運とか不満とか野心とかの顆粒状の肥料をやれば、
適度に枝ぶりを歪めた幸福、または満足という名前の木が育つ。
あの枝を伐ろう、この枝のねじれを直そうと心を配ることに多忙なら、
いっそのこと木そのものを伐り倒してしまおうなどという大それた衝動に駆られるこもないから、
長期的に見れば、適度な不幸はむしろ木の健康には有益なのだ。

だが、俺はそういう生活を手に入れることができなかった。
いちおう人並みには望んでみたのだが、先方から拒否された。
おれは大した恨みも感じることなく結果を受け入れた。
何度も似たようなことがあったので無感動になっていたのだろうか。
よく理由はわからないが、いまでも勤め人の群を見ると心がうずく。
朝は嫌悪で。夕方はほんのわずかだが、憧れで。そして七月と十二月には嫉妬心で。


3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:29:17.02 ID:NEycG7MM0
空がモンブランのブルーのインクの色になり、やがてプロシャ人の軍服の色に変っていった。
人通りが少しずつ減り始めた。それでも俺は同じ場所を動かなかった。
ハイライトを吸い、半分ほど吸ってはレモンドロップスの入っていたブリキの缶の蓋でにじり消し、
缶の中におさめた。

俺を見とがめるものは誰もいなかった。

誰も気にしている暇はないのだろう。
ごく稀に地下鉄の駅のほうへ人波からはずれてゆっくりと歩く男が俺に眼を向けた。
それもほんの一瞬のことでじきに歩み去り、どちらも顔を忘れてしまう。
彼らのほとんどが中年というより初老に近い男で、体が小さく、背中が曲がっていた。
一本抜けるごとに手帖にバツ印をつけていそうな髪の持主で、
そういうタイプに限ってポマードをべったりと塗りたくっている。

4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:30:00.34 ID:NEycG7MM0
ふと気づくと、葬儀屋みたいなだぶだぶの濃紺の背広を着た男が立ち止まってしげしげと俺の顔を覗き込んでいた。

 彡⌒ミ
( @_ゝ@)

焦点があまりにもぴったり固定されていて、逆にうつろに見えた。
にらみつけたが動じなかった。
ほんの少しだがなにか重要な部分が精神から欠落しているのかも知れないと思った。
こういうタイプは苦手だ。
相手にもある程度のユーモアがないと、俺には説得できない。
俺は眼をそらし、もう長い間眺めつづけていたビルの玄関に視線を戻した。
その貧相な、ビンの底よりも厚いレンズの眼鏡の男が誰かに似ていると思った。
そうだ、ジャン=リュック・ゴダールだ。
貧相なゴダールをさらにひとまわり貧相たらしくし、髪にポマードをひと瓶塗りつけるとその男になる。

5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:31:33.78 ID:NEycG7MM0
(`・ω・´)

目指す男がビルの玄関口から出てきた。

俺は胸のポケットから写真を取り出した。
スナップ写真の右側を三分の一ほど切り取った写真だった。
写真を一枚くれといったら、兎尊はそれを出した。
その時にはすでに切り取ってあった。

写真の中で男は微笑んでいた。

硬そうな白い歯がきれいな列をつくって並んでいた。
髪は短く切りそろえ、三十代の終わりにかかった男としては不思議なほどよく似合っている。
日に焼けた顔のそこかしこにできている皺は適度に深く、男の筋肉質な体を、
そのシャツの胸部の張り具合とともに暗示していた。
どこといって非の打ちどころのない顔立ちだった。
ひょっとしたらこのままアイビーリーグの卒業アルバムに入れても通るかも知れない。
不満があるとしたらこの男には写真で見る限り、論うべき欠点がないということだ。
人は一言二言ケチをつけることができて初めて相手に安心することができる。
すべての学科をBプラスでこなしてきたスポーツの英雄を前にするとどこか居心地が悪い。
写真の彼は左手をあげて誰かの肩を抱いている。多分、と俺は思った。
切り取られた部分に写し出されていたのは兎尊自身に違いない。
浮気された女が自信を喪うとよくこういうことをする。

6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:32:28.87 ID:NEycG7MM0
彼はゆっくりと赤坂の方へ歩いた。

俺はゆっくりと十数えてから彼に従った。

歩調が遅いので多くの歩行者に追い抜かれた。
外国からの観光客も混じっている。

まず韓国人たちが急行列車みたいに追い抜いていった。
彼らは何かに腹を立てたような強い、角張った口調で話つづけた。
小鳥まで言葉で射落としかねなかった。

そのあとを中国人の家族連れがつづいた。
彼らは両方の手に電化製品の入った箱をぶら下げていた。
今日の仕事をすっかり果たし終えたので、中国人たちは満足し、声も落ち着いて、歩調も緩やかだった。
それでも彼らは、前を歩く都村と俺とを結局追い越していった。

7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:33:02.80 ID:NEycG7MM0
都村は角を曲った。急いで曲がり角までいく。
小路の先を歩く彼が酒屋に入っていくのが見えた。

酒場ではなく、酒屋だった。
化粧箱に入った酒瓶が並んだ棚の下で、タマラ・プレスには少し劣る体格の女将が、
飛行機の自動操縦装置にデータをインプットする真剣さで電卓と取り組んでいた。
彼女は少し間をおいて入った二人の客に、顔もあげずに低い声で、いらっしゃいといった。

酒屋の店の左側の通路にねそべる老いた犬を跨いでいくと、
立ち飲みのカウンターの一画にたどりついた。店は盛っていた。
椅子は一脚もなく、小さな調理場を囲んだ高いカウンターと、
まわりの壁にぐるりと張り巡らされたカウンターの二つがあり、その全てにぎっしりと客が並んでいた。
壁には鏡が張り付けられ、壁際の客は自分の顔の表情の崩れを反省しながら飲む仕掛けになっている。

8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:35:20.94 ID:NEycG7MM0
都村は調理場の中にいた若い男に声をかけて焼酎のソーダ割りを受け取った。
他にキンピラゴボウの一皿を手にして壁のほうへ移動した。
思いのほか低い声だったが、長旅を終えた馬たちの水飲み場のような混みかたの店の中でも彼の声はよく通った。
俺も同じものを注文して、客を四人おいた壁際のカウンターへもぐりこんだ。
ここの客はたいてい一人で、飲みかたも内省的だった。
稀にいる二人連れも声高に話しはしなかったし、会社の人事のことよりもプロ野球の話題を選んでいた。

都村はグラスを口に運びかけたまま鏡の中の自分の顔を見ていた。
顔を歪めて覗き込みながら、あいているほうの手で頬を撫でていた。
髭の濃い体質らしく、はっきり両頬には翳りが見えた。
写真で見るよりも白髪が目立った。側頭部はとりわけそうだった。


10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:35:55.61 ID:NEycG7MM0
彼が兎尊と結婚して九年になる。
真冬にスキー場で知りあい、春にはいっしょになったという。
彼のスキーは抜群にうまかった。
小雪の煙るもっとも急なスロープえお一人で華麗に滑り降りていく姿を見た瞬間、
雷の一撃に打たれたのよ、と兎尊は俺にいった。
有名な私立大学のサッカー部出身で、卒業すると大手の事務機の会社に入った。

結婚した翌年、都村はニューヨークの提携会社に一年間出向した。
社内ではこのコースは将来の出世を約束されたと同じ意味がある。
数人の仲間と一緒だった。兎尊は同行しなかった。妊娠の中期に入っていたからだ。
彼女は二人のために、都村の両親が明け渡してくれた荻窪清水町の家で帰りを待っていた。

都村はアメリカから一週間に一度ずつ国際電話をかけてきた。
兎尊はしだいに大きくなる腹をいたわりながら、赤ん坊の肌着をつくり続けた。

11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:37:15.49 ID:NEycG7MM0
都村がアメリカでの仕事を、
やはりBプラスの成績で終えて帰った時から二人の関係はすっかり変質せざるを得なかった。
兎尊が流産していたからだ。彼女は誰にも責められなかった。
伊豆のリゾートマンションに住んでいた義父母にも、都村自身にも責められなかった。
しかし誰もが悲しんだ。
二度と子供ができない体になったことを知らされた都村は、それでも、
物置から不要不急の芝刈機を取り出そうとして転んだ彼女を責めなかったが、
二人の間は確実に冷えた。
ジョギング・シューズの宣伝にそのまま使いたいと広告マンが誘惑に駆られる彼の微笑は変わることはなかったが、
都村の側頭部の白髪の数が増し、兎尊の目尻の皺が深くなるに従って、
二人の会話は二次関数のグラフに下降線のように減った。
兎尊は報われない大きな乳房を両手で抱え込みながら、尼僧ヨアンナの嘆きをなぞるように味わった。

都村がまた調理場のカウンターに近づいて、飲み物のおかわりを注文した。
俺も同じようにした。
相手は鏡の中の自分以外にはまるで関心を払わない。
かといってナルシストというわけでもなさそうだ。
暗い、とはいえないが、スナップ写真の中の男は少なくとも明日の試合に備えていたが、
現実の彼はそうでもない。
毎日の練習は欠かさないが、
試合だけは一生やるまいと心に誓ったボールゲームのプレイヤーのようだった。

12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:37:54.65 ID:NEycG7MM0
また衝動が襲ってきた。
俺は店の中央部の一点に視線を集中した。
他人は俺が空間に浮かびあがった奇蹟の文字を読み取ろうとでもしている、
と思ったかも知れない。

それから手探りでグラスをカウンターのうえに置き、
腰のポケットからハンカチを取り出した。
ハンカチは湿り気をもう十二分に帯びていた。
口にあてがう直前に、鼻腔の奥を快い電流が流れ、
俺は大量の空気と少量の唾液を飛散させながらくしゃみをした。

いちばん隅にいた小男が鋭い、批難の眼を向けたが、
こちらが目で謝罪するよりも早く顔をそむけてしまった。

けっ、お前なんか腕カバーをしたまま棺桶へ入りゃいいんだ。
中ソ戦争が起こることより帳簿の尻が百円分だけあわないことのほうが恐怖なんだろう。
何十年も三十センチの距離でものを見続けた結果、
世界も三十センチの直径しか持っていないのだと錯覚し、それをかたくなに信じるタイプだ。
俺は、そうならないために、健康保険も自前で払っている。

都村を視界の隅に追ったが、彼は何の反応も示さなかった。

13 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:38:24.80 ID:NEycG7MM0
( ФωФ)「ご幸運を」

と隣の男がつぶやいた。
太いストライプの入った栗色の背広を着た老人だった。
頬がつやつやと輝いている。彼の頭は俺の口元よりしたにあった。

俺は彼にいった。

( ^ω^)「すみませんお、お騒がせして」

( ФωФ)「いいや、構いませんよ」

とストライプの男はいった。

( ФωФ)「風邪ですか?」

( ^ω^)「ええ。季節の変わり目の、よくあるやつらしいですお。
       金太郎の腹掛けをして寝ればよかった」

ストライプの老人は快活そうに笑った。


15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:39:15.90 ID:NEycG7MM0
( ^ω^)「でも」

と俺は尋ねた。

( ^ω^)「なんですかお、その、幸運をってのは」

男はレモンの細片の入ったグラスを掲げながらいった。

( ФωФ)「なんというんですかね、習慣ですよ。
       私はラテンアメリカに長くいましてね、
       あちらのほうでは間髪いれずにいってやるんですよ、
       くしゃみをした人にね。幸運をって。
       そうするといったほうがね、百円玉を拾うくらいの運には巡りあえるらしいですよ」

彼はさっきからにおいの強い煙草を吸っていた。
その煙が俺のくしゃみを誘いだしたのかも知れない。

( ^ω^)「いつもここにくるんですかお?」

( ФωФ)「いつも」

と男は答えた。

とうにバスにただで乗れるようになっているはずだが、
多分自分のポケットの小銭を取り出し続けているだろう。


17 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:40:45.69 ID:NEycG7MM0
( ^ω^)「いつもですかお」

( ФωФ)「もう例外なし。六時に仕事が終わる。六時五分にはこの店に入る。
       レモン割りを二杯飲む。つまみを二皿食べる。一時間ずっと立っている。
       ぴったり一時間で膝が痛くなるので店を出る。そういうことです」

( ^ω^)「そういうことですかお。こういうタイプの店が好きなんですかお」

( ФωФ)「好きだねえ。思い出すんだよ。いろんなことをね」

( ^ω^)「はぁ」

男はグラスを口に運んだ。
末期の水で唇を湿す程度にしかグラスの内容を減らさなかった。
手の甲の皮膚には濃いしみがいくつも浮いていた。

18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:41:15.80 ID:NEycG7MM0
( ФωФ)「ディエンビエンフーが陥落したニュースを聞いたのが、
       これとそっくり同じ感じの店だった」

( ^ω^)「どちらですかお。浅草?」

( ФωФ)「パリだよ。トゥルピゴ街の角。
       コンセルバトワールの近くで、うちのヨーロッパ総局のしたさ。
       知っているかね」

( ^ω^)「いえ。まだ外国へは一度も」

( ФωФ)「それはいかんよ。君は出かけるべきタイプだ」

俺は老人の顔をまじまじと眺めた。
彼の眼は笑っていなかった。

19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:41:56.03 ID:NEycG7MM0
( ФωФ)「君の顔はそういう顔だ。
       外国で苦労するべきだ。
       苦労すれば味の出る顔だ」

( ^ω^)「ありがとうございますお」

( ФωФ)「苦労しなくちゃだめな顔ともいえるな。
       どことなく下品だ。君の職業を当ててみようか」

( ^ω^)「お願いしますお」

( ФωФ)「芸能プロダクションのマネージャー。
       いいかえれば、まぁ女衒だな。
       化石化した良心をまだ箱につめてしまってある根性のない女衒だな。
       どうだ。いいところを突いているだろう」

( ^ω^)「恐れ入りますお」

俺は都村を盗み見た。
彼は相変わらず同じ場所にいた。
片肘をカウンターにつきグラスの中を覗き込んでいた。
魂を酒のグラスに落としてしまったボクサーが、
自分の闘争心に自信を失って引退の決意を固めようとしているシーンに使えそうだ。

20 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:42:32.95 ID:NEycG7MM0
( ФωФ)「ところで女衒君」

とストライプの老人がいった。

( ФωФ)「君はディエンビエンフーという名前を知っているかね」

( ^ω^)「知ってますお。
       たしか、北朝鮮のどこかでしょう。
       凄い戦争があったところじゃないかな」

( ФωФ)「外国へ行くのもいいが、君の場合は少し勉強が足りなようだね」

( ^ω^)「お説の通りかも知れませんお」

( ФωФ)「反省したまえ」

( ^ω^)「そうしますお。
       でも外国へ行くなら勉強しなくてもすむところにしますお。
       たとえば」

( ФωФ)「たとえばどこかね」

( ^ω^)「たとえば、南極ですお」

21 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:43:15.13 ID:NEycG7MM0
都村が出口に向かって歩きだした。
日本の酒屋の店頭の立ち飲みの伝統を忠実に受け継いでいるので、
勘定はキャッシュ・オン。デリバリイだ。
だから帰る客はふらりと歩きだし、ふらりと出ていけばいい。
俺は都村のあとに続こうとした。

左脚から歩きかけた瞬間にまた大きなくしゃみが出た。
今度もまたハンカチでカバーする余裕はなかった。
店のざわめきが消えた。嘆きの壁も崩しかねない大きな音がしたのだろう。
俺は少しばかり恥じた。

( ФωФ)「ブエナ・スエルテ」

幸運を、と老人が焼酎のレモン割りをさしあげて、いった。

俺は答えた。

( ^ω^)「ムーチャス・グラシアス」


23 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:44:06.99 ID:NEycG7MM0


地下鉄のホームはまだ通勤客の敗残兵たちで混んでいた。
みんな聖書に読みふける修道僧に似た真剣さで夕刊新聞の赤い見出し活字を追っていた。

(`・ω・´)

都村は渋谷行のホームに立っていた。
家に帰ろうとしていて、なおかつ時間を浪費することを嫌うなら、
新宿方面へ行く電車の入線してくるホームに立っていなくてはならない。
彼は姿勢をまっすぐにして線路の方を向いていた。
おせっかいな探偵があとをつけていることには気付いていない。

俺は柱に寄り掛かってなるべく都村のいるほうに視線を送らないよう注意していた。
強い視線はなぜか人の感覚を刺激する。
我々は誰でも背中にその感覚器を持っている。
なにかを置き忘れた感じしてふり返ると、たいては誰かが見つめている。


25 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:44:44.36 ID:NEycG7MM0
俺はかたわらの広告ポスターを貼りつけたパネルに視線をぶつけていることにした。

「秋のイタリア、35万8千円。
 ミラノ、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、カプリ、リミニ」

「オーストラリア東海岸とニュージーランド、49万5千円。
 世界最大のグレート・バリア・リーフから、マウント・クックの大ゲレンデへ」

「ニューカレドニア8日間、太陽とサンゴ礁。もう一度夏を、あなたに」

この国はもうじき寒くなる。

寒いのは苦手だ。
実りの少ない労働を終え、カウンターだけの店で、汚れた海綿を洗うような飲み方で酒を飲み、
帰って事務所兼用のアパートのドアをあけるときの鍵の冷たさがいやだ。
鍵束を何度もかちゃつかせながら、冷えた空気の暗い部屋へ入るのがいやだ。
まるで自分の入る棺の蓋を苦労してあけているみたいだ。
冬の乾いた空気は頭痛を呼び込む。
真冬に頭痛に耐えながら爪を噛んでいると、
時折、キルケゴールでも読んでみようかという気分になる。
それがもっともいやだ。

26 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:46:16.69 ID:NEycG7MM0
電車の間隔があいているらしく、プラットホームには人があふれだしていた。
俺は憂鬱になった。
都村がどこの駅で降りるのか知らないが、
そこまで少なくとも誰かの禍々しい整髪料のにおいに悩まされることは避けられない。
ハンカチだけは出しておこう。
四半世紀前の日活の映画スターみたいに歩きながら変装のつもりで顔をおおったりはしないが、
くしゃみの衝動が起きたら間髪をいれずに使えるように。

案内サインが電車の入線してくることを告げた。
都村はいまやホームのいちばん前に立っている。
俺も自然にそうなった。
ドアが二つ分は離れているが同じ車輛に乗ることになるのたしかだ。

地下鉄の向こうが明るくなり、臆病な甲虫を思わせる電車が近付いてきた。
黄色い光を放つ二個の目玉が見えて、遠路が振動し、轟音が大きくなった。
電車が入るときにはホームの真ん中にいるものは半歩前進し、
ホームの端にいるもは半歩後退する。
俺も無意識のうちに、わずかに身をひいた。

27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:47:15.24 ID:NEycG7MM0
Σ( ^ω^)

半歩さがった瞬間に誰かの体に触れた。
角張ったものにあたった。
肘だったかも知れない。
ふり返ろうとしたが、その男はそうさせなかった。
両手で強く前の方へ俺を押した。

電車は目前まで接近していた。
臆病な甲虫が獰猛な肉食獣に姿を変えていた。

28 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:48:14.80 ID:NEycG7MM0
(;゚ω゚)

俺は声をあげたつもりだった。
喉から乾いた声帯のこすれあうぶざまな音しか出なかった。
そのかわりにくしゃみが出そうになった。
命をなくすかどうかの瀬戸際にこんなことではとても生き残れない、と強く反省した。

しかし、生き残りたかった。
腕はさらに強く俺を押しのけようとした。
状態のバランスが完全に崩れた。
パンダグラフと架線の間の青い火花が散った。

29 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:48:58.69 ID:NEycG7MM0
俺は両腕を前にではなく、うしろに泳がせた。
なにか硬いもの――コンクリートだと思った――が指先に当たった。
掴めはしなかったが指が引っかかった。

爪をなくし、一生ビールのプルリングが引きあけられなくても構わないと思った。
そのまま指先のかかった右手を支点にして大きく、体を振りながら地面に倒れた。
それしか助かる道はなかった。

倒れた拍子にすねをいやというほど柱の角にぶつけた。

涙が滲み、ほぼ同時に電車の先頭が強風とともに俺のすぐそばを駆け抜けた。

気を狂わせる音量の警笛が地下ホームのすべての空気を震わせた。
しかしすべてが一瞬のうちに始まり、一瞬のうちに終わったので、
悲鳴の得意な若い女も準備する暇はなかった。
この殺人未遂に気付いたものさえ意外に少なかったかも知れない。

30 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:50:16.77 ID:NEycG7MM0
俺を押しのけようとした男を目で探したが、
誰もが象皮病患者をあわれむごとき表情しか見せておらず、
殺意の片鱗すら感じさせなかった。
それに眼は痛みをこらえる涙で曇っていて、
異分子を拾い出す作業にはまったく不向きな状態だった。
俺はすべてをあきらめ、すねを両手でかかえて泣くことに専念した。

(‘_L’)「大丈夫ですか、あんた」

と、駅員が声をかけた。

( ;ω;)

声は出なかった。
それよりも別のことを、
たとえばチーズケーキかなにかを想像することでわずかでも痛みを和らげたかった。


33 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:51:30.79 ID:NEycG7MM0
(‘_L’)「酔ってるのかね、あんた」

駅員が不審そうにのぞきこんでいる。

やはりなにも答えられず、ただ呻き続けた。
やがて駅員は「気をつけてもらわないと」と捨て台詞めいた言葉を残して去っていった。

泣きながら俺は思った。
もしこの柱が円柱だったならばいま頃は線路上に体を横たえていただろう。
以前頭であった部分が、以前胴体であったり、脚であった部分と一緒にいないのをいぶかしみながら。
ついでに地下鉄の側壁に爆発している芸術の商品見本みたいな、
カーマイン一色の壁画をつくりあげて。
しかしその場合このすねの痛さはなかったに違いない。
どちらをとるかといわれればいまはわからない。
この痛みを経験したあとだと、自分でもはっきりどちらとはいえないのだ。


35 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:52:36.43 ID:NEycG7MM0
俺は長い間、柱に寄りかかってうずくまっていた。
イヌが地下鉄にも住みついていたなら、七、八回は小便をかけられていただろう。
ようやく人心地ついて立ちあがったときは、むろん都村の姿などホームのどこにも見えはしなかった。
それどころかすでに人影がまばらである。

ベンチで編物を続けていた老女が俺を見てにっこり笑った。
俺も努力して笑い返した。
一幕の芝居がはねたあとみたいだった。
老女はショッピングバッグ・レディだった。
その笑いには威厳と孤独と友情が、
名人のつくったカクテルみたいにほどよく混じりあっていた。


38 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/17(金) 23:58:06.45 ID:NEycG7MM0
 ※


水曜日はいい天気だった。
外を歩くと汗ばんだ。

俺は上着を抱えて歩いた。
風邪はまだ治りきらず、くしゃみもでないが、鼻がぐずつく。
明るいうちに用を済ませ、近所のはっちゃん食堂でサバ味噌定食を食べて眠った。
カプリ島で女に逃げられる夢を見た以外は平穏だった。
すねの傷はまだだいぶ痛んだ。

木曜日は雨だった。
夕方まで偽装倒産事件の経費の精算をしていた。


42 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/18(土) 00:08:42.35 ID:sCexqNuG0
こういう仕事は雨の日に限る。
子供の頃は雨の日には郵便ポストの貯金箱をひらいて小銭を勘定するのが好きだった。
十円玉を十枚ずつの円筒状に積みあげては、たてから斜めから眺めては満足していた。
小銭の詰まった郵便ポストが百個集まったらヨットが買えると思っていた。
やはい雨に日には学校図書館でアラン・ボンバールの「実験漂流記」を発見して、
海の男として生きることを誓っていたからだ。
大人になってヨットは買えないとわかっても小銭を勘定して楽しむ趣味は消えなかった。
だから経費の精算というと時どき妙に心が弾む。
しかしこんな姿は誰にも見せたくない。
いま貯金箱を叩き壊したとしても、なにができるというのだろう。
西池袋のビリヤード屋の二階を引き払って、
南青山の貧民窟に部屋を借りることすらできはしない。


49 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/18(土) 00:16:32.45 ID:sCexqNuG0
夕方からはまた溜池へ出向いた。
三時間待ったが都村は会社の玄関から出てこなかった。
帰って二十四時間ひらいているコインランドリーへ行き、洗濯物が仕上がるまで「たい少数民族の習俗」を読んだ。
夜中だというのに、仕事を終えたホステスたちがひっきりなしに出入りした。
それぞれが一トン分くらいの汚れものを持っていた。
いったい彼女たちは一日に何回着換えるのだろう。

金曜日は晴れたが、気温はぐっとさがった。

都村は六時半きっかりに社屋を出てきた。
あいかわらずなにも手にしてはいなかった。
着ている背広の色が濃くなっていた。


52 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/18(土) 00:25:47.52 ID:sCexqNuG0

彼は例の立ち飲み店に入り、以前と同じメニューで飲んだ。

店の中は相変わらず混雑していた。
ストライプの背広を着た老人はいちばん隅にいて誰かと話していた。
多分、今夜も見知らぬ男を相手に、アルジェリアの独立戦争かコンゴの動乱の話をしているに違いない。
彼に見つからないように背を向けて、ゆっくりとグラスを口に運び続けた。

三十分間に都村は二度電話をかけた。
いずれも相手不在だったらしく、なにも話さずに受話器をおいた。

都村は酒屋を出てから近くのゲームセンターに入った。
異性の侵略者を射ち落すゲームを世にもつまらなそうな顔で、
しかし手慣れた仕草で続けている。
一回のゲームがなかなか終わらない。

53 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/18(土) 00:29:48.30 ID:sCexqNuG0

俺がゲーム機械で気のないゲームに百円玉を十個近く消費する頃、
ようやく彼は顔をあげた。
額に薄く汗が光っていた。

それから立ちあがって電話をかけた。
今度は通じたらしく店を出た。
俺は心からほっとした。
どんなに相手を研究し、
技術に熟達しても絶対に勝てないゲームから解放されるのは嬉しかった。

54 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/18(土) 00:38:05.56 ID:sCexqNuG0
 ※

地下鉄は渋谷からそのまま郊外電車に乗り入れる。

彼は四つ目の駅で降りた。

商店街を抜けるときにケーキ屋へ入った。

ショー・ウィンドーの前でかなりの時間を費やし、
何個かのケーキを箱に詰めさせた。

道路の反対側からちらりとその横顔を眺めたとき、
俺は彼の表情をフィルムのようにおおっていた孤独感が溶けかけているのに気づいた。

55 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/18(土) 00:43:07.97 ID:sCexqNuG0

いくつかの角を曲がり、
いくつかの道を横切り、
彼は一軒のアパートの中へ入っていった。

激しく雨の降る日には急流になりそうな坂の途中に、
一階に大部分をガレージに階段状に設置したその四階建てのアパートはあった。

通りに向けて不規則なかたちの外廊下が張り出し、
鉄のドアの列が段差をつけて、まるで登山電車の窓のように並んでいた。

俺は路上駐車している車の一台に近づき、その車んお持ち主を装った。

56 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/18(土) 00:47:45.36 ID:sCexqNuG0

三階の外廊下に都村の姿が見えた。

ゆっくり歩き、いちばん奥のドアの前に立った。

すぐにドアが開いた。

('、`*川

女が立っていた。

女は笑っていた

体をドアの外に出し、片手でドアをおさえた。

57 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/18(土) 00:53:22.68 ID:sCexqNuG0

都村を先に入れようという気遣いだとわかった。

しかし彼は女の好意をにわかに受け入れようとはしなかった。

そこにとどまり女の方に手を伸ばした。

それから自分の手のケーキの箱を女に渡し、
かわりに彼女が右手で抱いていた子供を自分の胸の中に受け取った。

子供を両手で高くさしあげた。

(`^ω^´)

三人とも満足そうに笑っていた。

58 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/09/18(土) 00:57:59.39 ID:sCexqNuG0
いったん終わります。
支援ありがとうございました。

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